第2回 新いけばな主義
Contemporary IKEBANA ism Ⅱ
主催 これからのいけばなを考える会
会期 2019年6月22日(土)〜30日(日)
会場 ART FACTORY 城南島
出品者
はじめに
2017年の初冬、次の展覧会に向けて始動し始めた矢先に私達の耳に飛び込んできたのは、第1回展開催地である「BankART Studio NYK」のあった建物(旧日本郵船)が取り壊されるというニュースでした。
行き場を失ったそんな折に実行委員の一人から「こんな情報を得た」と紹介されたのがこの度の会場、「ART FACTORY 城南島」です。さっそく皆で下見に行ったところ、周囲は巨大な倉庫とおびただしい数のコンテナの山。時折上空を飛ぶ飛行機の爆音。異空間とも思える殺風景な人工島でした。しかしまた、この無機的な空間に新いけばな主義の「花」を咲かすのも楽しいではないか、といった意見も出され、『新いけばな主義第2回展』の開催地として決定しました。
今展は会場の規模が前回よりやや縮小されたため総出品者数を20名に絞らざるを得ず、新たな作家を発掘するという観点からも、実行委員6名と公募により選出された14名の作家による展示となりました。公募部門から選出された14名は、キャリアを積んだ作家や若手の作家、いけばな以外のジャンルの作家が混在し、若々しく鷹揚な作品が散見されたことも今展の収穫の一つと言えましょう。
横浜から城南島と、奇しくも海繋がりの地を巡ってきた『新いけばな主義展』。次の寄港地はどこなのか。私たちは「新いけばな主義」の旗印のもと、新たないけばな表現を求めてさらなる航海を続けます。
これからのいけばなの行方
※この文はシンポジウムで話した内容を要約したものです。(冊子掲載内容)
◉太田菜穂子(以下太田)まず、写真キュレーターである私の意見は、ある意味では門外漢、外部からの“いけばな”への視線として聞いていただければありがたいです。“いけばな”との距離感としては、通っていた高校、白百合時代に若干触れただけなので、ほとんど皆無と言っていいレベルです。
さて、昨年から『新いけばな主義』の活動に少しだけ関わらせていただき、「生命を扱う」という意味からも”いけばな”について、現代日本社会、そして世界は、改めてより深く、そして正しく知らなければならないと思うようになりました。
訳語が正しくないのか、それとも“いけばな”の本質への精査が不足しているのか、現状で使われる英語翻訳の“フラワーアレンジメント(Flower Arrangement)”は全く不適切だと思います。まず、こうした表面的なイメージを払拭することも、『これからのいけばなを考える会』の大きなミッションではないかと思っています。
多くの方々が日々、自覚されていらっしゃるように、“いけばな”は“時間”とか、“自分を見つめること”とか、人生の根源的な問題に繋がる表現行為です。先ほどの参加作家の皆さまのプレゼンテーションでは、その事実を明確に言葉として説明してくださいました。素材へのこだわり、そして深い愛情、その想いを込めて、“今、ここで”作品を創り上げる時間に向き合う、今回私はその貴重な時間に立ち会うことができました。
個人的にも、作家たちがそれぞれに作品を創り上げていく姿を拝見したかったので、火曜日からこちらに伺わせていただいて、水、木と三日間に亘って拝見したのですが、作品を創ることにどんどん集中度を上げてゆく作家の方々の姿、互いに刺激を受け合っているご様子、他者の作品を自らの視界に捉え、それらを延長線上に置き、目の前の自身の作品に真正面から向き合い、目指す表現に向かって最後まで諦めない姿勢に深い感銘を受けました。 この「創作時間の記録」、今後の課題のひとつとして、メイキング映像としてまとめ、展覧会のコンテンツとすることを検討すべきではないかと感じています。
“いけばな”がまさに“真剣勝負”であることを知ったこの三日間、私にとって非常に貴重な体験でした。ありがとうございました。
◉会場(拍手)
◉長井理一(以下長井)ありがとうございます。それでは次に三頭谷さん。
◉三頭谷鷹史(以下三頭谷)いけばなの過去と将来についてちょっと言いたいことがあります。あえて個人名を挙げて語らせてもらいます。たとえば工藤亜美さんですが、今回の出品作はたいへん面白かったのですが、彼女の応募コメントも興味深かった。僕流に解釈すると、現代いけばなであるなら、植物を使った昔のままのいけばなの方へ向かっていくのには抵抗がある、そんな意味だったと記憶しています。少なくともそこに問題があると感じられているようで、気になったわけです。一方で粕谷尚弘さん、彼は、作品の部分としてですが、生の花をいけている。もちろん他にも植物を使っている人がたくさんいるわけだけど、使い方や扱い方はいろいろです。「花をいける」という、最もストレートな形での植物の使い方では、今回、粕谷さんが最も鮮明な方向性をもっていたと思うのです。僕としては、工藤さんと粕谷さん、この二人の方向性の違いが興味深かったわけです。これは過去の問題でもあり、これからの問題でもある、いわばいけばなの急所のようなところだと思っています。
それともう一つ、表現という言葉を今回テーマに使っていますが、いけばなにおいて表現というのはずっと昔からあったわけではありません。美術も同じなのですが、ある時期に表現ということを意識し始めた。それまではどちらかというと工芸に近いもの、なにしろ日本は工芸にたけた「工芸の国」ですからね。いけばなは「床の間の工芸」と呼ばれたこともあるように、こうした方面での本当に長い伝統と力を持っています。そこからある時期に自立していく。
表現が突出してくる時期があるんです。それは当然西洋から影響を受けてですが、美術では明治の半ば頃に表現が自立していきます。じゃあ、いけばなが表現を自覚したのはいつだったのか、ですね。西川一草亭という、京都の文人生けの人をご存じでしょうか? その一草亭が、大正12年に、「将来のいけばなは表現に向かう」と予言しています。そこからようやく表現面が、本格的な意味において、いけばなの中にくっきり出てくる。もちろん、それまでもいけばなには表現的要素が含まれていたんだけれど、くっきり、はっきり出てくるのがこれ以降ということです。ただ、西川一草亭自身は、生活が重要だと言っていましたし、生活の芸術化である「風流」を彼は求めていました。自分が表現を追求したいということではなく、将来はそういう時代になるだろうという予言です。そして実際にそうなりました。昭和8年頃、勅使河原蒼風や重森三玲なんかが「新興いけばな」という考えを打ち出し(「宣言」は未発表)、表現的傾向を強め、戦後になってそれが本格化しました。いわゆる「造形いけばな」ですね。だから、いけばなにおいての、表現面突出というのは、意外に歴史が浅いといえば浅い。最大に見積もっても、昭和と平成、この間にすぎない。
だから、いけばなを表現ということでとらえるならば、もう一度歴史を振り返ってそれを柔軟に見る必要がある。今までは表現が拡大してきたけど、道はそれだけではない。表現面を突き詰めることも重要だし、しかしそれだけではないというところをどう見ていくか? それを若い世代というか、粕谷さんあなたいくつですか?
◉粕谷尚弘 若くないです。38です。
◉三頭谷 38歳か、まあ若いとしておきましょう。そういった若手の方から「花をいける」が出てきて、で、上の世代が頑固に造形にこだわる。いや、どちらが正しいかということを言っているわけではありません。これが現在の現実で、僕の見方では、その辺の色々な多様化をこれからは引き受けなきゃならない時代じゃないかと思うわけです。今までの造形志向が無意味なものになる訳じゃないが、多様化に向かっていく。要するにみんながそろって同じ方向に向かっていく時代じゃなくなった。逆にそれぞれの世代が持っているもの、個人が持っているものをはっきりと追求していく。そんな予感を持って僕は見ています。
じゃ、それを意識すると何が違ってくるかというと、自由になれるんですよ。どっか縛られているというか、それは過去の伝統的な縛りもあるが、近代から現代への流れの中で縛られているというところもある。だから、ここからまた再スタートするくらいのつもりがないといけないかな、と。
もう一つ、僕が美術から越境して現代いけばなに関りを持ったのは1990年前後です。現代いけばなは、現代美術に酷似する部分も多いけど、やはり独自の表現があって、それがとても面白くてのめり込んだわけです。その辺りのところを是非とも追求していただきたいと思っています。以上です。
◉会場 (拍手)
◉長井 ありがとうございます。もう先生方話し出すと止まりませんので、私がブレーキをかける役だったんですけど、ボーッと聞き入ってしまいました。それでは金澤先生。
◉金澤毅(以下金澤) 話は10分でと言われましたので、簡潔な要点だけをお話しすることにしましょう。まず私は言いたいことを二つに分けて、最初に今の美術界がどうなっているのかということを少しお話ししたいと思います。
今、三頭谷さんが美術界から見たいけばなということに話題が入ってきていますが、私も実はそこに関心を持っております。ご承知かと思いますけれど、今の美術界というのは以前の美術界ではありません。もう完全に意識が変わって、古い型と新しい型の美術に分かれてしまいました。古い型というのは今までの絵画とか彫刻ですね。あと版画、工芸など我々になじみが深い作品です。ところが数十年前から美術界が変わり始めたんですね。私は「時代表現」と呼んでおりますが、一例としましてインスタレーションというのが多くなってきています。これは非常に大きな場所をとりますし、その場の空気も含めての表現となっているのです。ですから作品を他の場所に移した時にはもうその表現の意味は失われてしまいます。またその一部分を手にとってこれもアートかといわれると、大体がそうではありません。それは石ころかもしれませんし、箒か塵取りかもしれません。価値がないものでも集まることによってそれは作家の意思となり、作品となるんですね。つまりすべてのアーティストは今の時代をどう表現するかに四苦八苦している訳です。その一番いい例が写真家でしょうか。写真機を持ってうろうろしてるカメラおじさんが市内のあちこちにおりますが、そのなかに中国での残留孤児宅を一軒一軒回って悲惨な現状を撮っていた方がおりました。それが美術表現かと問われると、何を以てアートというのか判らなくなってくるのが現状なんです。答えの出ない質問ですね。また、パフォーマンスというものがありますが、これは自分の身体表現のアートです。身体というのはほとんどの人が同じ素材と形態を持って生まれてくる訳ですが、そこから先の展開がその人にしかできない表現になるわけです。それは音楽にのせることもありますが、誰かの作品の周囲で舞踏をしながら見せる場合もあります。
そこでいけばなに話が入ってきますが、いけばなというのはアートとは少し違う性格を持っています。それはいけばなそのものが装飾的な性格を持っているということが一つ。それから本来何かに捧げるといった対象を意識してきたこと。また核となる形式が確立しているほか、見せる場、道具、設えといったものがある程度用意されていること。そうした諸条件の中で作品を作っていく訳ですね。ところがアートの方にはそうした枠が全くありません。そこで私が考えていますのが、いけばなはこの際床の間とか家庭から一旦離れることが必要なのではないかということです。つまり一種の冒険をするということです。アートでは作品に一人歩きをさせるということが宿命となっております。しかし何事もそうですが、特定のグループや規則の枠内や、或いはある決まった場所で物事を繰り返して発表されていきますと、それは安全圏の中での表現となって批評行為がなくなってきます。批判がないところには成長がないわけですね。ここのところが私は美術との大きな違いではないかという気がいたします。
次に抽象的な言い方をやめて、具体的な提案に入っていきましょう。今後の展開について考えてみますと、いけばなもスケールアップして社会の中へ入っていく必要があると思われます。もうすでに行なわれている場面を時折目にいたしますが、一層発展させていくためにはデザイナーや建築家とこれまで以上に仲良くならなければならないでしょう。色々な環境や状況の中でいけばな制作を学んでいくことは大事なことですね。
いけばなには「活ける」という言葉がありますね。私はいけばな作家ではありませんが、「活ける」という言葉の意味がこの際重要になってくるのではないかと思います。それは「活ける」ということは素材である花が命を持っているということがひとつありますが、その力を借りて場の空気を造り変えていくということが必要になってくるからです。また時代の流れを読んでそこに対話の道具としてのいけばなをみんなの目に映り込むようにしなくてはならないということもあります。つまり、装飾的存在を超えた一種の冒険であり実験なんですね。こういったことをこれからのいけばな作家は常に意識していかなくてはなりません。そのためには公募展というものが大変いい訓練の場になるような気がします。ここでは学ぶことも多いでしょうし、失敗したとしても何かを汲み取ることができるでしょう。何もしないでじっとしてるよりは、成功と失敗の両端を行ったり来たりしながら成長していくきっかけを掴むことが重要です。それからもうひとつは、いけばな作家はいけばな作家だけで固まるのではなく、他のジャンルとの共同作業というものも考えるべきではないかと思います。例えば音楽とか、パフォーマンスとか、建築空間とか、デザイナーなどといった人達とですね。社会の中で共存共栄していくきっかけを積極的に作るべき時が来たのです。その為には一つの活動の場として国際的な場も踏まなくてはなりません。一番避けなければならないのは日本発の芸術表現を日本人の中だけで完結させようという姿勢です。いけばなは茶の湯とは違いまして国際的な場面で展開できる性格を持っています。世界にはいけばなに近い感覚で花を飾る国はたくさんあります。しかしこの作法を理論化して学術研究の対象にもっていったのは日本だけではないかと思いますが、時にはこれに関わってきた方々の姿勢を固定化してしまったんではないかと気にもなっています。私のご提案は以上でございますが、今後の日本のいけばな界の発展に少しでもお役に立てばたいへん嬉しく存じます。
◉会場 (拍手)
◉長井 ありがとうございます。三人の先生から提言を今いただきました。和食とフランス料理を一緒に食べるとえらいことになりますが、専門的なご提案で、身に染みる部分もあるし、えっと思うこともあるように感じる方もいるかもしれない。そんな中で太田先生から前回もご指摘というか方向性を示していただいたんですけど、世界へ出て行くことこそあなたたちのやるべき仕事ではないかと。何百年も続く素晴らしいいけばなが自分たちの世界だけで終わってしまってはいけない、もったいないと。世界にアピールしなさいよと。今の金澤さんからも国際化ですね、どうして外に出さないんだという含みをいただきながら話を聞きました。えーこれから30分という短い時間ですけれども、皆さんからご質問なりご意見なりを、、、
◉太田 感想は先ほど申し上げましたが、私はまだ提言はしていないので…。おそらく私のことをご存じない方が多いと思うので、少しだけ自己紹介をさせてください。私は写真のキュレーターとして、30年近く写真表現に向き合ってきました。主に展覧会の企画、審査、作品のビューイングを世界各地でしてきました。今回の審査のお誘いを受けた時、写真と“いけばな”には共通項があるように感じ、参加させていただくことにしました。写真、そして“いけばな”は一言にすれば、「一期一会」。その時、その場に、“作家”がいないと成立しない表現です。これは持論ですが、写真とは「誰かにこれを見せたい」と強く思わない限り、心を動かす“写真の力”が宿った作品にはならないように思います。そんな私が、昨年秋に参加させていただいたシンポジウムで、作家の方々のお考えを聴くチャンスをいただき、“いけばな”には、写真に近似した創作者と鑑賞者とが成立させる関係「ダイアログ(対話)」が存在することを感じ、本日ここに座っています。
実は写真とは少し離れますが、私はこの10年余り、数多くの“日本”を発信するプロジェクトにも関わってきました。美しい意匠や伝統と最新技術が結合した商品やサービスを、いわゆる『新日本様式』として紹介するプロジェクトなどです。デザイン性や機能の素晴らしさだけでなく、そこに“日本というアイデンティティ”を視覚化し、世界に発信することが、プロジェクトのミッションです。そうした過程で食文化である日本料理、書道プロジェクトなどを経て、今、“いけばな”の皆さまと出会うことが出来たのです。
ここで、私たちの視線を現代社会に向けてみましょう。昨今の世界情勢は、いけばなの創生期、室町末期の騒乱の時代と近似した空気が漂っています。今、世界は経済も政治も様々な場面での行き詰まりと閉塞感に喘いでいます。まさに未来が見えない暗闇の中にあると言ってもいいでしょう。しかしながら、21世紀という時代は、SNSというネットワークコミュニケーションによって、70億人もの世界の人々に一瞬にして響かすことも可能な時代でもあるのです。つまり、現代はたったひとりの作家であっても、世界に向かって、発信や提言ができる時代でもあるのです。
先ほどの皆さまのステイトメントを伺いながら、作品制作の背景や姿勢、アプローチには、現代社会の共通課題に根ざしていることを感じました。例えば、“アップサイクル”、単なるリサイクルではなく、廃棄された物の魅力を発見し、再構築するという姿勢は出品者の何人もの方々に見られます。皆さまの素材への向き合い方は、消費社会が終焉を迎え、新たな時代を迎えている現代への提言として、私は読み解きました。
世界が評価する“もったいない”にしても、単なる日本人のライフスタイルや生活習慣という意味をを越えて、“既存の価値を変換していく” 可能性を秘めた行為でもあるのです。そうした意味でも、いけばなの方々は一般人のはるか先を歩み、軽々と、飄々とやってのけているように見えました。よって、これからは作品のみならず、そうした思想や理論もご自身の言葉として世界に開陳するステージへと意識を変える段階が、皆さまを待っているように感じます。
アート界を牽引するコンテンポラリー・アートの最大のテーマは「提言、問いかけ」です。デザインとアートの差の定義する言葉として「アートは問いかけであり、デザインは答えである」、ある意味でフラワーアレンジメントはデザイン、いけばなはコンテンポラリーアートなのではないでしょうか?
でも“問いかけ”をする以上、そこに価値の変換を目指さなければならないはずです。室町末期の乱世、“婆娑羅”と呼ばれた時代の変革者たちは、既存の価値基準である豪華なしつらえを否定し、一見すると簡素で古びた狭い茶室に、中国から渡来した舶来ものを持ち込んで、“茶の銘柄を当てる博打”に興じたと言われています。珍しい茶を点て、そのお茶の産地と銘柄は当てた人には、その日の茶室を彩った名品を手に入れることができたのです。明日をも知れぬ自分の命、『応仁の乱』という時代に、ストイックな作法で継承されることになる茶道が生まれたことに深い感慨を覚えます。ただ、これほどの荒技をやってのける美の変革者たちが現れて、仏教伝来から始まった中国文化の亜流や変化形であった日本という地に、日本独自の美意識や価値観が生まれたと言ってもいいかもしれません。『佗茶』、そして『侘』とは、時代や世界に向かっての命がけのアンチ・テーゼだったはずです。もちろん、この『わび』への解釈は人ぞれぞれ、実にさまざまです。ただ少なくとも私は『侘』をそう訓み解いています。
日本の伝統藝能、伝統美術の本質にある思考は、現在の世界が抱えるグローバルな課題に『解』への気づきを与える思考が存在するように感じます。例えば日本料理の自然界との関わり方は、生物多様性やサステナブルな地球循環を継承する叡智と判断に支えられています。“旬”の定義、“地産地消”への姿勢、“出汁”や“旨味”への考え方、どれをとっても自然界との共生を目指す謙虚な姿勢と大地の恵みへの深い感謝が読み取れます。初夏の稚鮎、夏の鱧、冬の河豚を愛でる姿勢と、実際に脂がのったシーズンを旬とするヨーロッパのジビエへの考え方とは大きく異なることも興味深い事実です。
今回こうして、作家選考から始まり、会場事前打ち合わせ、展覧会設営作業まで『新いけばな主義』の一連の準備の過程で、日本ならではの“美しいふるまい”を毎回、目にしてきました。流派が異なる方々がそれぞれに協力し合って、ひとつの時空間をつくりあげてゆく、そこには自分の作品と同様に他者のそれを尊重する姿勢、周辺の作品との距離感やボリューム感を意識した現場での微調整、柔軟で穏やかな会話を重ねながら進む作業、そこには常に気持ちのいい空気が流れていました。そして、それらのさまざまな細やかな配慮が会場全体に行き渡り、独特の気配としての『新いけばな主義』の調和が立ち現れたと思います。今後は制作のみならず、会の姿勢を明確にすると共に、活動趣旨や作品ステートメントといった“言葉を整備する作業”にも、力を注がれることを提案したいと思います。そうした作業の積み重ねが“新いけばな主義”のステージを世界へと導くように感じています。
◉長井 いけばなをする人への提言あり、また、日本人全体への大きな提言であるようにも感じましたけれど、皆さんの中で、お話を伺ってどうでしたでしょうか?お三方それぞれのアドバイスがありましたけれど…いなければ続けさせていただきます。あ、今手を挙げられた方。
◉出席者 第1回の新いけばな主義は残念ながら見ることが出来なかったのですが、私はどちらかというとアートの方に身を置いています。ただ、私は母に無理矢理というか、中高といけばなを習い、免状を持っているのですが、今、色々な先生方の話を聞いていて、私は非常に皆さんに期待しています。私自身はインスタレーションをやっているのですけど、アートの方からするとインスタレーションというのは中々それに至っておりません。どちらかというといけばなの方が私はインスタレーションだと思っています。何故かというと、アートの方では孤立したものを作ろうとしています。それは空間の中であろうが何処であろうが、これが私の作品です、というのがまず第一です。どの美術のコンクールにしましても「作品」を出します。それは自分の表現。私はこれだ、という表現。だからインスタレーションとは関係ありません。先ほど先生が仰っていらしたようにインスタレーションなら作品がなくても、それが石でも、その空間を自分のものに出来るといった可能性がある。だがただし、それはその空間がやはりなくなれば失われるんです。アートの人間は自分の作品が失われるといったことに非常に恐怖を覚えます。やはり自分の作品が保存され美術館にあることをよしとするからです。だけれども、そこにインスタレーションはありません。もしそれを留めようとするならばアーカイブ、資料として留めるのみです。そのことをいけばなをやっている人たちは自然と身につけてらっしゃる。それを私はとても敬服する。そのことだけは一つ言わせていただきたいと思いました。
◉三頭谷 インスタレーションということで少しお話しておきたいことがあります。というのは、1952年、当時はまだインスタレーションという言葉がなかった頃なんですが、半田唄子さんという、この人は中川幸夫さんの奥さんですが、明らかにインスタレーションと言える作品を作っているんですよね。美術の場合はどうしても1970年前後頃の世界の動きの中から学んでいったという形なんだけれど、いけばなの場合はそういうことと関係なく独自に生み出していった。その辺りの力っていうのに感心するんですよ。ただ、その点について議論したのは下田(尚利)さんなんだけど、下田さんは、「三頭谷さんはちょっといけばなに甘すぎるよ」って言うんですよ。彼は、「あれは座敷飾りの延長だよ」という言い方されていて僕と議論になったんだけれど。いけばなというものが座敷飾りという場の文化性と密着して育ってきているだけに、座敷飾りの延長と見るのか、それを原点として持ちながら新しい表現として飛躍していったと見るのか。まあ僕は好意的に、ある種飛躍してすごい表現が出てきたのではないかという判断ですね。そうした独自性を僕はいけばなに期待しているということをお伝えしたかったわけです。
◉長井 ありがとうございます。第1回の時に三頭谷先生が激励だと思うんですが、新いけばな主義は台風だ、それもドンドン成長するそういうタイプのものだと言ったんです。で、それは第2回展にこぎ着けたことによって進んだんだと思うんですよね。色々な話の中でこれからのいけばなに向けての提言として自国の文化を意識しつつ世界へ出て行く。ただ、領域の変化というのは確かにあると思うんですよね。座敷飾りだけであった時代、そして百貨店形式が生まれたりあるいはギャラリーだったり、集団で展示していたものが個で展示するようになったり、いけばな界自体も本質が変わってきたり要素が変わってきていく中で、それを個人の個に押しつけるような形でいけばな界で進めていくのがいいのか、それとも団体として「新いけばな主義」としてね、進めていくのがいいのか、そんなコンセプトの戦いみたいな事をちょっと聴きたかったんですけれど、中々皆さんの方から話は出なかったし、なんかありますでしょうかね?
2回展で多分終わらせてはいけないと思うんですよね。でも3回展があるとして、いけばな作家だけが集団で海外に出て行くということは難しいですよ。表現者がお金がかかってくる問題に対応できない。そうするとそのマネージメント性などを組織の中に入れてこないといけないわけですよ。そういうのいけばな界では中々難しいという現状をずっと抱えて今日に至っている。それを流儀というものがあるんで、その中での解決で済んでいるんですけど、太田先生が言われるように、侘びさびなんかは日本人には簡単にわかるんだけれども、外国の方には中々それを説明しないと理解できない。という提言も前の時にありました。
そういうような中で金澤先生はアートとして美術としていけばなをどういう風に絡ませていくか、個人として参加しろ、そして団体として参加しろ、アートの色々な分野との接触の中から刺激を見つけていけと、そういうようなことが意見として出てきたと思うんですけど、これを一つにまとめて次から3回目に向けてまとめていくのは中々難しいなという感じがしますけれども、みなさん、どうですか?まだ見たばかりだと思うんですけど何か、ただ鑑賞するだけの方もいるとは思うんですけど、もっと刺激的なものを求めてきたんだけど、とかいう人いませんか?
◉金澤 司会が苦労してる…終わらせた方がいい
◉三頭谷 じゃあ、余計なことを一つ。僕は若い方に関してはやりたいことをやりなさいと言うだけなんです。若い人の場合、やりたいことを好きなようにやる、それだけで有益なのです。ところが中高年の場合、そう簡単にはいかない。何十年もやってると自分のスタイルが出来上がっていて、そこを抜けていかないとマンネリになってしまう。成果を得ようとすると、若い人の何倍も努力しなければならない。キャリアがある人ほど難しいんですが、今回、たとえば篠田岳青さんなどが努力によって結果を出している。もう一歩という方も多い。是非とも脱皮してほしいですね。
◉金澤 それでは私も皆様方にひとこと言わせていただきますが、「イリュージョンを持て」と。翻訳すれば幻想とか幻影とかになると思いますが、でも身のまわりにない、目にも見えない、具体的にないものをイリュージョンと呼ぶのです。そういう見えないものを見えるようにしていく。あるいは、ひょっとしたらありかなといわせるようものを作っていく。または自分の欲望や夢を形にしていく、そういう全てのものをイリュージョンと呼んでいる訳です。そのイリュージョン作りに今後も邁進していってほしいと思うだけです。それだけです。
◉長井 前回、新いけばな主義1回目が出来た時にそのあとで、三頭谷先生から「出来たんだけど現状は変わってないよ」と。「本当はこれからなんだよ」と。で、これからというのがこの2回展だったわけです。太田先生からは日本だけじゃなく世界へ飛び出していけと、そして金澤先生からは「イリュージョンを持て」と。そこで皆さんに訊きたいのが、第3回展期待するか?と。
◉会場 (拍手)
◉長井 第3回展に公募があったら参加するか?そういう方、エイエイオー!はい、今手を挙げた方を、記録しておいてください。(笑)