第1回 新いけばな主義
Contemporary IKEBANA ism
主催 これからのいけばなを考える会
会期 2017年6月24日(土)〜7月2日(日)
会場 BankART Studio NYK
出品者
はじめに
まず初めにこの会を開催するに至った経緯を述べさせていただきます。
一昨年の秋頃いけばなを志す一人の若者との会話中に、その若者が『「現代いけばな」って何ですか?』という言葉を発しました。あらためて考えてみれば、都心部における「現代いけばな」を標榜した大規模な展覧会は、1999年に「Fの会」が企画した『いけばなから’99』を最後に、17年間開催されることなく今日に至っています。華道界に新風を吹き込み、一時代を席巻した「現代いけばな」の大きなうねりを知らない世代が現れても何の不思議もないわけです。とはいえ、この言葉は私にとって少なからぬ衝撃でした。そして様々な思いが去来する中、多くの先達がいけばな表現の可能性を追求してきた「現代いけばな」は過去の遺産ではなく、「現代に息づく空間芸術としてのいけばな」であることを提示し、これからの華道界を担っていく若者たちにしっかりとバトンを渡さなければならない、という思いが急速にふくらんでいったのです。
今回展覧会を開催するにあたってはまず、かねてより展覧会の開催を切望していた日向洋一さん、伊藤庭花さんのお二人にお声掛けし、さらに実行委員としてご協力いただくために、数名の賛同者を募りました。そして協議を重ねて十数名のノミネート作家を選出。最終的には6名の実行委員と9名のノミネート作家の出品が決定。さらに公募部門を設け、実行委員全員と3名の有識者を加えた9名による審査を経て、公募部門から12名の出品者を選出。合わせて27名により開催することが決定いたしました。
「新いけばな主義」というタイトルにもふれておきます。今展の出品者は一つの理念やイデオロギーの許に集まった集団ではありません。27人各々が新しいいけばなを模索し、各々が主張と覚悟をもって自身の創作活動を行っている作家、フラワーアーティストです。奇しくも三頭谷鷹史さんが日本女性新聞紙上で『個々の「新」と「深」をじっくり見ていく時代』と評されたように、「新いけばな主義」とは27人が27通りの主張を持ち、27通りの「新いけばな」を問うた表現の場であったと言えましょう。
このように現在の新しいいけばなを模索する動きは、一定の理念とか運動とかではくくれない時代になっています。三頭谷さんはまた、「現代いけばな」が活気を失い、表立った大きなイベントなどが見られなくなった1990年代以降を「失われた20年」と述べられています。表層的には確かに空白の期間であったと思いますが、その間、新しいいけばな表現を求める活動が全く消滅していたわけではありません。個々にひたむきな制作を続ける者たちにより、現代いけばなの血脈は確かに受け継がれていました。私にとって「失われた20年」は、個々人の「新いけばな」を希求する熱い思いが地下に蠢くマグマのように溜まり続け、次なる噴火のエネルギー蓄えていた20年とも思えるのです。
1990年代までを「現代いけばな」の第1期とすれば、「失われた20年」を挟んで、2017年の「新いけばな主義」展は、閉塞的状況にあるいけばな界に一石を投じた記念碑的な展覧会であり、「第2期現代いけばな」の始まりの始まりであると信じます。
「新いけばな主義」とは何か
◉金澤毅 美術評論家
停滞していたいけばな界の改革を夢見て
横浜のBankARTで開催されたこの画期的な展覧会のネーミングを決める際、さまざまな提案が準備段階で検討されたが、松田隆作氏の案が出された時、実行委員たちはほとんど瞬時にこれに合意したのであった。それまで長年停滞していたいけばな界の改革を夢見てきた彼等は、もやもやした気持ちをどのように表現し、どのようにそれを改善していくかについてまだ明確な方向性を持っていなかった。通常改革改善を目指す行為には、それに相応しい標語が必要となる。そしてそれはすべての改革運動にとって不可欠な要素でもある。
「新いけばな主義」とは一体どんな主義なのか実のところ誰も判っていないが、少なくともこれまでのものとは違った発想と方法論を持つものでなければならないと感じたことは確かであった。長い歴史を持つ伝統芸術ではあっても、日々変化を遂げていく現代社会の中で生き残り、次代に繋げていくためには、教条的な手法と制度的な人間関係を維持していくだけでは限界があると感じた実力者集団がいたのである。彼等は流派を超えたところで、「いけばな芸術」の可能性を模索し、表現技法の垣根を越えて環境芸術の一翼を担う位置で存在感を発揮させたいと願ったのであった。
伝統芸術としての生け花は、これまで日本女性がたしなむ作法であり、教養であった。そのための修練は厳しく、子弟関係は終生変わることなく、独自の表現や発表は制限されるのが普通であった。これでは新しい価値観を持った新世代に対応できないのは当然である。
今日芸術の国際環境は、地域性や独自性を排除して、翻訳可能で開かれた境地での伸展を目指している。わが国伝来の茶道や陶芸、或いは料理、漆芸の世界でも国際化は進む一方であり、柔道や相撲などのお家芸ももはや日本人だけのものではなくなっていることは誰もが知っている。
美意識の延長上としてのいけばな
近年「イケバナ」が世界の注目を浴びた背景には、テーブルデコレーションとしての装飾的効果だけではなく、美的表現への精神性をそこに見出したからはなかろうか。外国人はとかく、日本発の文化をすべて「禅」に結びつけて説明する傾向があるが、「イケバナ」はむしろ美意識の延長上で解説したほうが良いのではないかと私は感じている。つまりそのほうが可能性は増幅し、活動の場も広がるのではないかと思われるからである。
世界各地で行なわれるビエンナーレ等の国際美術展では、近年植物素材で構成するインスタレーションが多く見受けられる。イタリアのジュゼッペ ペノーネ、イギリスのアンディ ゴールドワージー、ドイツのニルス ウードなどを始め、日本でも十指に余る造形作家が出現した。「空間性」「環境性」といった言葉をキーワードに、両者が同じ場で競合することが出来れば、植物素材による表現世界は一層豊かなものになり、「生け花」は「新いけばな」へ向って脱皮していくのではないかと思っているこの頃である。
新しいいけばなを望む空気
◉三頭谷鷹史 美術評論家
いけばな界を覆う閉塞状況
突然、「新いけばな主義」が身の回りで吹き荒れた。突然と書いたが、展覧会については準備段階で相談を受けたこともあり、早くから知っていた。ただ、運営には関わっておらず、進捗状況をたまに連絡してもらう程度であった。一定の距離を保った形で見ていたわけだが、この展覧会、台風に譬えるなら、いつの間にか大型に成長するタイプだったのである。そのことに気づいたのは、公募要項が配られ始めた頃である。審査員に名を連ねていたため、あちこちで「新いけばな主義」の意味を聞かれた。それらは肯定的、懐疑的、否定的など、様々なニアンスを含む質問だったが、展覧会に対する関心の高さを実感したのである。この展覧会を一展覧会として単独に評価することも必要であろう。が、一方で、現在のいけばな状況と絡めながら評価し、検証することも必要である。そして今は特に後者が気になる。どう見ても、いけばな界を覆っている閉塞状況と無関係ではないからである。ここまで言えばいけばな関係者には分かってもらえると思うが、いけばな人口の減少を含めて、いけばな界は年々厳しさを増している。未来に希望がもてない閉塞状況の中で、沈み込んでいく人たちも数多くいるに違いない。まさにそうした状況下に「新いけばな主義」が登場し、多くの人がこの「新」に反応したのである。
それにしても「新いけばな主義」というネーミングは、展覧会タイトルとして絶妙であった。私は『日本女性新聞』に、このタイトルは「新しいいけばなを望む今の時代の空気にぴったりで、インパクトがあった」、そして「多くの人が『旧』の閉塞状況を一掃してくれる『新』を待ち望んでいることを再認識させられた」(注1)、と書いた。現在の重苦しい空気からの離脱を願うのは当然として、それだけでなく、もっと前に向かって積極的に進みたいという気持ちが高まっていたようなのだ。そうした気持ちが熱を帯び始め、その熱気が展覧会を大きく育てる原因になったのである。再び台風に譬えるなら、高い海水温によって大型化したということだ。その意味でも、一部を公募審査制とすることで、いけばな界全体に散在している熱気を展覧会に吸収したことの意義は大きい。
新しい時代の先駆け的な展覧会
では「新」は実現できたのかだが、状況が一変したわけではなく、まだ、と答えるほかない。しかし、こうも言える。熱気の集結、蓄積、発酵が、新しい方法や新しいいけばなを導き出しはしないかと。なるほど「新いけばな主義」は、新しい時代の先駆け的な展覧会となった。ただ、まだ熱気の集結の第一歩に成功しただけで、時間をかけた蓄積はこれからだし、当然ながら発酵には至っていない。本当にこれからなのである。とはいえ、今回、「新いけばな主義」には感謝しておかねばならない。個人的には悲観論に傾いていた気持ちを温めてくれたからだ。そう、いけばな状況の冷静な検証は必要だが、悲観論に益はないのである。
注1 )『 日本女性新聞』2017年7月15日号、「新いけばな主義」展評
これまでのいけばなの軌跡
※この文はシンポジウムで話した内容を要約したものです。(冊子掲載内容)
◉三頭谷鷹史 フリートークの参考になればということで、戦後のいけばなの軌跡について、簡略にお話しさせていただきます。まず、戦後のいけばなには「前衛いけばな」と呼ばれる前衛運動があったこと、これがたいへん重要です。今は「現代いけばな」という言葉が使われていますが、その前に前衛運動が盛んな一時期があり、「前衛いけばな」と呼ばれていました。伝統的分野の典型と思われている「いけばな」と「アバンギャルド」。このギャップは大きいですが、しかし前衛運動がこの分野を面白くしたのも事実です。いけばなの前衛運動には、他の伝統的分野には見られない、突出した激しさと広がりがありましたから。当然、世間は驚きました。
前衛運動がはっきり表に現れたのは1950年代です。この時期を「前衛いけばな」の時代と言ってよいかと思います。
1951年の『いけばな三巨匠展』が一番象徴的ですね、ここで勅使河原蒼風さん、中山文甫さん、小原豊雲さんの三人が造形的な方向性をはっきりと打ち出して、同調者をえながら、その後のいけばな界を引っ張っていった。本来なら保守的であるはずの家元やそれに類する立場の人達が前衛運動をリードするという、ありえない現象が起きたわけです。それだけでなく、東横展というコンクールもあって、それも造形色が強く、オブジェ的ないけばながたくさん登場し、いけばな界全体にそういう傾向を広めていきました。
まあ以上はいけばな界中心部の動きですが、脇の方からも前衛運動の火の手が上がりました。いけばなと庭園の研究者であり批評家でもあった重森三玲さんが火元です。家元制度を公然と批判する過激な人なのですが、彼が主宰した研究会に「白東社」というのがあって、そこから中川幸夫さん、半田唄子さんなどが出てきた。そしてもう一つ、重森弘淹さん、勅使河原宏さん、工藤昌伸さん、下田尚利さん、出発当時は皆さん20代ですね。こういった若い世代が「新世代集団」を結成し、前衛運動を展開している。彼らは社会そのものを変革していこうという意識もあり、「テーマ性いけばな」という社会派的傾向の強いものを追求しました。なお、重森三玲さんと次男の弘淹さんは、この時期に『いけばな芸術』という批評雑誌を発行し、前衛運動に大きな影響を与えています。
以上のように、「前衛いけばな」といっても、おもに三つの動きがありました。一つは造形的いけばな、二つ目が中川幸夫に代表される傾向のもの、それから三つ目が若手の前衛運動。それらが同時期に、互いに絡み合いながらも、それぞれの夢の実現を目指して動いた時代、それが1950年代の前衛いけばなの時代でした。しかし状況は急激に変化します。1960年代になると、もう伝統回帰の時代なのです。それを代表するのが1960年に行われた池坊の『王朝文化といけ花展』。これは伝統を重視した展覧会で、素材も植物を重視する傾向が現れています。じゃあ前衛いけばなはどうなったのかといえば、僕の見方では、消滅していないのです。前衛いけばな、特に造形いけばなは、各流派内のレパートリーの一つとして温存されたのではないか。
一方で伝統回帰の動きがありながら、他方では造形いけばなを温存し、流派としての膨らみを持つ。巧みな流派運営ですね。流派によって程度の差はあるとしても、いけばな界全体としてば、そんな形で60年代に業界拡大を果たしていったように見えます。
それから次の70年代から80年代までが「現代いけばな」の時代です。1969年に「現代いけばな懇話会」が結成されますが、その頃から新しい時代の担い手が登場してきます。
流派を否定する形ではありませんが、「個人」活動が活性化し、最初はグループ活動として表出し、だんだんと個人性を強めていきます。美術画廊なんかで個展をやる時代になってくる。細かくいうといろいろありますが、「いけばな八人の会」とか、それから発展して、流派とは無関係な、個人参加のアンデパンダン『いけばな公募展』が生まれてきたという流れもありますね。また80年代は女性の活動が活発になりました。ともかく、この70年代から80年代にかけて、以前は流派の陰に隠れていた個人というものが非常に表立っていき、いけばな界は明らかに変わっていくのです。
ところが、90年代~2000年代をどう呼ぶか。僕はもう「現代いけばな」とは言いません。「失われた20年」のいけばなと呼んでいます。この時代を改めて考えてみると、大変な時代なのですね。バブルがはじけて、いけばな界もやっぱりいけばな人口の減少が起きてくる。そしてこの時代に踏ん張ったのが「Fの会」。世代を超えた様々な経歴の人がここに結集したのです。何故結集したのかといえば、失われた20年の時代という危機を乗り越えなければいかん、そんな思いがどこか無意識のうちにあったのではないかという気がします。で、この時代の重要な動きは、ほぼ「Fの会」を中心にいろいろな企画がなされました。『いけばなから’99』はその象徴的な展覧会でした。それからいけばな界の外に向かってアピールして画期的だったのが『大地の芸術祭』への参加でした。実に大きな仕事をされていますが、「Fの会」への結集は、失われた20年の時代の特色だったと思います。
こうしてみると歴史の流れはやはり後戻りしません。確実に前へ、未知の世界へと僕らを引っ張っていきますね。2010年以降、そして今は、失われた20年を越えるほかありません。すでに新しい時代に入っているのかもしれません…。さて、以上が戦後いけばなの概略であります。とりあえず参考までにお話をさせてもらいました。ありがとうございます。(拍手)。